20代で転職回数が多いと人生終了…
こんなこと思っている方多いのではないでしょうか
実際僕もそう思っていました
だからってブラックな会社に勤め続ける方が人生もったいない!!
それこそ人生終了へまっしぐら だと思います!
今回は20代で転職を繰り返した僕が、どうして転職をしたのか転職活動中は何をしていたのかなどについて、日記形式でまとめました
ちなみに僕の職歴は以下の通り
- 住宅オプション営業(5ヶ月)年収約370万円(予測)
- 商工会議所職員(2年9ヶ月 ※内3ヶ月休職)年収約300万円
- 化粧品製造工場事務(もうすぐ3年 ※現職)年収約360万円
憧れの住宅業界はキラキラしていた(ように見えました)
大学時代、やりたいことが全く分からなかった僕でしたが
自己分析を進めていくと、家族は大工だったり建築士だったり…
自分自身も元々インテリアとか大好きだし、リフォームに興味もあったことで
住宅業界めっちゃ憧れる!住宅業界に決めた!
と、住宅業界に絞って就職活動をしました
その結果とある建売のオプション(網戸だったりカーテンレールだったり)を専門に扱う会社に就職しました(家から片道2時間)
今にして思えばすごく遠かったけれど内定後のインターンにも積極的に参加して憧れた住宅業界はキラキラ輝いていました
輝いているように見えました
その日のうちに帰れない問題
会社の営業の範囲が広く、片道3時間かかる場所へ行くこともしばしば
そういう時に限って打ち合わせが全く進まない
打ち合わせが終わるのが9時頃になると、そこから直帰しても家に着くのは深夜2時
夜が明けると朝6時に家を出て職場へ
みたいな生活が続いていました
もはや寝てない!
判断力も鈍って社用車で事故りそうになったこともありました
上司と上手くいかない
40代くらいの女性の上司だったのですが、ヒステリックな面がありどうもウマが合いませんでした
自分が気にしすぎな性格だからと言うこともあるのかもしれませんが、言葉の節々からトゲを感じるようになってきて、初めて職場の人間関係に悩むことになりました
家族にも心配されるようになり、転職活動を開始
当時若気の至りで尖ってた僕は、転職活動を開始すると現職場がどうでもよくなり
上司ともより亀裂が生じるようになりました
今にして思うと申し訳ないし社会人失格だと思います
わずか半年で退職
- 家から片道約2時間
- その日に帰れない日もしばしば
- 上司とも上手くいかない
- その上グループ会社の店舗が潰れ始める
もうこれ辞めるしかなくない?
次まだ決まってないし半年では早すぎるかなとは思いましたが、辞めたい気持ちは日に日に強くなっていき、家族をこれ以上心配させるのもなぁと思い退職することに
「退職したい」と言い出すのが怖くて色々調べていたら退職代行サービスというのが世の中にあることもこの時初めて知りました
あまりの言えなさに退職代行使おうか正直めちゃくちゃ悩みましたがなんとか勇気を振り絞って自分の口で言うことに
初めて退職したいことを告げた時の瞬間は今でも覚えています
でも、あまりに劣悪な環境・人間関係なら退職代行は全然アリだと今でも思っています
パワハラとか受けてたら辞めるの切り出すとかマジで無理だと思う
退職代行サービスは労働組合と連携しているところがおすすめ
退職代行ガーディアンなら労働組合が運営しているので、依頼者の代わりに有給取得の交渉や退職を拒否されたら退職を確実なものにするために会社と交渉などをしてくれて、安心して出社することなく退職することができます
当時同じ職場だった妻には心配と迷惑をかけたなぁと申し訳ない気持ちでいっぱいでした
フリーター期間は派遣でなんとか食い繋いでました
明日のことも分からないまま辞めてしまったのでとりあえず
働かなくちゃ……
と思い、大学時代に登録していた派遣バイトで食い繋ぐことに
この時の派遣バイトは主に
- イベント派遣(非定期)
- 事務派遣(非定期)
- 倉庫派遣(定期)
を行い、月15万円ほど稼いでいました
具体的な仕事内容は以下の通り
イベント派遣
仕事紹介のメールが沢山来るので、気になるのがあったら応募→現場に行ってライブやイベントの運営
といった感じになります
チケットのもぎりみたいなことから、学会のクローク係まで本当に様々なことをやってました
また、イベント派遣は同年代が多かったため自然と雑談も色々でき、コミュニケーション能力も多少上がったような気がします
非定期の一日派遣のいいところは、人間関係がその場限りだから悩む必要が全くない!
あとイベント派遣は純粋に楽しかったです!
事務派遣
次の仕事は事務関係がいいなぁ…とぼんやり思っていたので、派遣で事務の仕事も経験していました
事務仕事といってもその場限りの派遣だとやれることはたかが知れていて、ちょっとしたデータ入力や封筒の糊付け・届いた書類の仕分けみたいなことをのんびりやっていました
今思うとよくこれでお金が貰えてたな…ってくらいの業務量でした
倉庫派遣
ここは唯一定期的に入ってやっていました
業務内容は贈答用のハムやビールの開梱やのし貼り
結構力仕事でしたがパートのおばちゃん達が優しかったため楽しく続けられていました
2ヶ月くらい続けたタイミングで転職先が見つかり、社員さん・パートさんに祝福を受けながら退職
本当に良い人達で今でも感謝してます!
ハローワークで運命の出会い
派遣の仕事と並行して、ハローワークへ行って就活をしていました
そこで紹介してもらったのが、次の職場となる「商工会議所」です
「商工会議所とは」地域の事業者を会員とした民間の経済団体で、主な活動としては地元の小規模事業者への経営支援・地域の経済活動の活性化になります
普段中途半端な時期に募集がかかることはないのですが、たまたま募集がかかったことを教えてもらい即応募
ハローワークの職員の方にたくさん面接練習していただいたのをよく覚えています
昭和の価値観!The圧迫面接→まさかの採用
通常商工会議所の試験では、通常 筆記試験・面接を行うらしいのですが余程人手が欲しかったのか筆記試験はパス
その代わり、「地元を盛り上げるにはどうしたら良いか」というテーマの作文(確か45分)と面接(30分)を行いました
ただこの面接が地獄
当時の常務理事・局長・所長VS僕
3対1というとてつもなくアウェーなバトル
まず何も質問されない
当時の常務理事にボロクソに怒鳴られているだけの30分でした
人格否定までされて正直半泣きになっていたと思います
よほど哀れだったのか局長・所長が最後フォローしてくれていたのを覚えています
あぁ…これは落ちたな…うん、よかった
と思って1週間後…
まさかの採用
断ることも一瞬考えましたが、周りも喜んでいるし世間体的にも見栄えが良い職なため悩んだ末入所することに
12月に入所したのですが、4月までは嘱託職員という扱いでの採用でした
また、このタイミングで圧迫面接の常務理事も変わることに
これで彼女(現妻)にも家族にも心配かけずに済む!!
当時の僕は本気でそう思っていました
これが新しい地獄の始まりになるなんてそんなことは思わずに
つづく!
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